チェス仕組み戦略

人間のように指すチェスエンジン:Maiaとは何か、なぜ自然に感じるのか

従来のチェスエンジンは勝率を最大化する最善手を計算し、手加減するときは不自然な悪手を混ぜます。一方、Maiaは数百万局に及ぶ人間の実戦譜から学習し、各レーティング帯のプレイヤーが実際にどう考え、どう指すかを高い精度で再現します。

文:Boardgammon約10分で読めます

木製のチェス盤と伝統的な駒、棋譜の記録ノートが置かれた研究用の机。
盤上の駒の連携や中長期的な構想を組み立てる力は、機械的な計算の繰り返しとは異なる思考から生まれます。画像:Generated with ChatGPT · AIで生成したイラスト

コンピューターを相手にチェスの練習をしていて、奇妙な違和感を覚えた経験を持つ人は少なくありません。序盤から中盤にかけて白黒双方が駒を展開し、互角のせめぎ合いが続いていたはずの局面で、突然AIが何の脈絡もなくクイーンをタダ取りさせたり、ルークを意味のない隅へ引いたりする現象です。そして数手後には、グランドマスターでさえ見落とすような超絶技巧のタクティクスを平然と繰り出してきます。

この不自然さは、既存のチェス思考エンジンが本質的に「数学的な最適解」を計算する機械として作られていることに起因します。クラブプレイヤーや初心者の棋力に合わせたボットを作る際、開発者は探索の深さを制限したり、乱数によって意図的な悪手を差し挟んだりしてきました。しかし、そのような手加減は人間の思考プロセスとはかけ離れています。

2020年、人工知能と認知科学の研究チームがこの課題に新しい視点から挑みました。コンピューターに勝利だけを求めるのではなく、「人間が盤上でどのように判断しているか」をそのまま予測するディープニューラルネットワークとして開発されたのが、オープンソースのチェスエンジン『Maia Chess』です。

画面の向こうに本物の人間がいるかのような感覚でチェスを練習したいと考える人にとって、Maiaが採用した設計思想は、これまでのAI対局の常識を大きく変えるものとなりました。

通常の手加減ボットが不自然に見える理由

Stockfishをはじめとする最強クラスのチェスエンジンは、1秒間に数千万もの局面を評価し、最も勝率の高いルートを徹底的に探索します。感情の揺らぎや疲労とは無縁であり、複雑な局面でも瞬時に計算を終えます。

このような強力なエンジンを、レーティング1100、1200、1500前後の棋力に調整しようとすると、一般的に次の二つの方法が取られます。

  • 探索深度の制限: 先読みの手数を数手に制限し、先の展開を見えなくする。
  • 乱数による悪手の注入: あらかじめ決められた確率で、評価値の低い手を故意に選ばせる。

しかし、実際の人間のミスは乱数によって引き起こされるわけではありません。実力相応のプレイヤーが指す局面では、駒の利きを見落としたり、相手の狙いを読み違えたり、時間切迫に追われたりといった心理的・認知的な理由でミスが生じます。

数手前まで完璧な着手を続けていた相手が、何の圧力もかかっていない平穏な局面でポーンの前にクイーンを差し出すような手は、人間同士の対局ではまず見られません。このようなボットと指しても、「相手の思考を読んで裏をかく」という盤上の駆け引きを学ぶことは困難です。

さらに、探索深度を浅くしたエンジンは、浅い手数の中では依然として冷酷なまでの正確さを保ちます。そのため、戦術的な罠を仕掛けても機械的に防がれてしまい、練習相手としての自然さに欠けてしまうのです。

1200万局の人間の実戦譜から学習したMaia

Maiaの開発チーム――Reid McIlroy-Young、Siddhartha Sen、Jon Kleinberg、Ashton Andersonら――は、AlphaZeroのような自己対局による強化学習とは正反対のアプローチを採用しました[1]。

彼らはオンラインチェスプラットフォームLichessに蓄積された膨大な公開対局データに着目しました。収集されたデータからボット同士の対局や不正対局、持ち時間の極端に短いゲームを除外し、真剣勝負の人間の棋譜だけを抽出しました。

その規模は、各レーティング帯ごとに1200万局(12 million局)という驚くべきものです。レーティング1100から1900までの範囲を個別の階層に細かく分け、それぞれの棋力帯に属する人間同士の対戦データだけで個別のモデルを訓練しました。

Maiaに課された学習目標は、「勝率を最大化する手を計算すること」ではありません。「特定のレーティングを持つ人間がこの局面を見たとき、次にどの一手を指すか」を高い確率で予測することでした。

各層1200万局の実戦譜を学習した結果、Maiaは各棋力帯のプレイヤーが好むオープニングの傾向や、見落としやすい戦術的死角、盤上の構想の立て方をそのまま内面化することに成功しました。

指し手の一致率:Stockfishとの決定的な違い

Maiaの人間らしさは、実戦譜との一致率を測定した実験データに明確に現れています。2020年の原著論文では、人間が実際に指した手とエンジンが提案した手が一致する割合を、異なるレーティング帯で比較検証しました。

従来のStockfishは、探索深度をいくら調整しても、人間の指し手と一致する確率は40%未満にとどまり、平均では約38%程度でした。皮肉なことに、Stockfishの探索を深めて計算能力を高めれば高めるほど、人間には思いつかないような難解な最善手を選ぶようになり、一致率はさらに低下していきました。

一方、Maiaは検証されたすべての棋力帯で50%を超える高い予測精度を達成しました。中級者帯では52%から54%の確率で人間と全く同じ手を選び、初級者帯の1100でも48%という高い一致率を記録しました。

各レーティング帯における人間の指し手予測精度をMaiaとStockfishで比較した棒グラフ。
2020年の研究データに基づく、人間の実戦譜における指し手の一致率の比較。画像:Boardgammon · このページへのリンクを添えれば自由に再利用できます(CC BY 4.0)

この数値の開きは、人間のチェスが決して単なる乱雑なエラーの集まりではないことを示しています。人間は駒の働きを整え、キングの安全を確保し、中央の拠点を巡って筋道の通った意図を持って指しています。

Maiaは良い手だけでなく、「人間が陥りがちな典型的な間違い」も高い精度で予測します。特定の局面で同格の人間が飛びつきがちな甘い手があれば、Maiaも自然とその手を選びます。

自然なオープニング展開と戦術のやり取り

Maiaの棋譜や評価を検証し、その構想をチェスのオンライン対局で試してみると、序盤の駒組みから自然な流れが実感できます。AI特有の突拍子もない端歩突きなどは見られず、定跡に沿った健全な駒の展開が行われます。

例えば、代表的なオープニングであるイタリアンゲームの局面を見てみましょう。

イタリアンゲームの序盤局面で、白がビショップをg5へ展開してナイトをピンしたチェス盤。
古典的なオープニングでは、中央支配と駒の自然な連携を重視した展開が進められます。画像:Boardgammon · このページへのリンクを添えれば自由に再利用できます(CC BY 4.0)

白はビショップを素直に展開し、ナイトを中央に利かせ、キングサイドへキャスリングする自然な手を重ねます。無理な奇襲を狙うのではなく、駒同士の調和を保ちながら陣形を整える姿勢は、まさにクラブで腕を磨く人間の指し手そのものです。

中盤以降のタクティクスにおいても、その自然さは変わりません。実戦ではチェスのフォーク・ピン・スキュアといった手筋が決まることもあれば、守りの手薄な隙を突いてチェスのバックランクメイトを狙う局面も訪れます。

Maiaがそうした戦術を見落とすとき、そこには必ず人間的な理由が存在します。自陣の守備に気を取られていたり、離れた位置にある駒の利きを見落としていたりするのです。

こうした人間らしい手順を研究することは、実戦力の向上に直結します。AIが設定された確率に従ってポーンを放り出すのを待つのではなく、盤上の正当な駆け引きで相手を崩す道筋を学べるからです。

将棋AIの発展からチェスを捉え直す視点

日本のゲームファンにとって、思考エンジンと人間の対峙というテーマは、将棋AIの歴史を通じて深く親しまれてきた歴史があります。かつて強さのみを追い求めていた将棋プログラムがプロ棋士を圧倒するようになり、現在では「強さの追究」から「人間の意思決定の理解と学習支援」へと研究の関心が広がっています。

チェスにおけるMaiaの試みは、まさにこの流れと呼応するものです。ただ圧倒的な強さでねじ伏せるAIではなく、人間と同じ目線で盤面を眺め、同じような弱点や直感を持つモデルの存在は、盤上遊戯の学習環境において極めて重要です。

終盤戦においても、Maiaはテーブルベースによる機械的な延命措置を取るのではなく、キングを中央へ繰り出して最後まで粘り強い抵抗を見せます。終盤の基礎を学ぶ上でも示唆に富んでいます。

Maia-2から最新のMaia-3への進化

2020年の初期研究によって人間性の再現が可能であると実証された後も、開発チームは改良を重ねてきました。初期のMaiaはレーティングごとに独立したネットワークを用意する必要があり、棋力の連続的な変化を表現するには限界がありました。

2024年、研究チームはアテンション機構を取り入れた統合アーキテクチャ『Maia-2』を発表しました。これにより、一つの統一されたモデルに任意のレーティング目標を入力することで、幅広い棋力を滑らかにカバーできるようになりました。

そして2025年、トロント大学のComputational Social Science Lab(CSSLab)から最新世代の『Maia-3 79M』が公開されました。このモデルは79Mパラメータ(79規模の学習パラメータ)を持つ最新のトランスフォーマー構造を採用しており、長手数のプロフィラキシス(予防措置)や複雑なエンドゲームの判断において、より洗練された人間らしさを獲得しています。

Maia-3はGNU Affero General Public Licenseバージョン3.0(AGPL 3.0)の下で公開されており、世界の研究コミュニティに開かれた形で発展を続けています。

人間らしい着手予測を日々のチェス学習に活かすには

Maiaの研究がチェス学習者に教えてくれる重要な視点は、「実戦で勝つためには、エンジンが示す20手先の難解な最善手を丸暗記するよりも、同じ棋力帯の人間が実際に指しやすい手と陥りやすい罠を理解する方がはるかに有益である」という点です。

超人的な計算エンジンの評価値ばかりを頼りにしていると、なぜその手が良いのか分からないまま複雑な変化を暗記してしまいがちです。実戦で相手が6手目に自然な人間らしい疑問手を指した途端、暗記した手順から外れて方針を見失うケースは少なくありません。日頃の対局経験と体系的なチェスのレッスンを組み合わせることで、駒の連携や中央の制圧、典型的な戦術パターンといった応用力の高い基礎が身につきます。

人間が選びやすい応手や見落としやすい死角を意識しながら学ぶことは、単なる手順の暗記を超えて、駒の働きや形勢判断の奥深さを実感させてくれる確かな上達法となります。

Maiaに関するよくある質問

MaiaはStockfishよりも強いのですか?

強さの絶対値を競う目的であれば、MaiaはStockfishより控えめな強さにとどまります。Stockfishは数学的な最善手を追求する最強の計算エンジンであり、Maiaは人間の指し手と弱点をリアルに再現するために作られたエンジンだからです。

Maiaは初心者でも対局相手として使えますか?

はい、1100などの初級レベルからモデルが用意されているため、自分の現在の実力に合わせた自然な対局相手として活用できます。

定跡書や終盤のデータベースは使っていますか?

Maiaは従来のエンジンが用いる巨大なオープニングブックやエンドゲームテーブルベースに頼らず、学習したニューラルネットワークの直感的な判断から手を生成しています。

なぜ他のサイトのボットは変な手を指すのですか?

多くのプラットフォームでは最強エンジンに探索制限をかけたり乱数を混ぜたりして手加減しているため、急にクイーンを捨てるといった極端な挙動が発生してしまいます。

出典

  1. McIlroy-Young, R., Sen, S., Kleinberg, J., & Anderson, A. (2020). Aligning Superhuman AI with Human Behavior: Chess as a Model System. Proceedings of the 26th ACM SIGKDD International Conference on Knowledge Discovery & Data Mining, 1677–1687.
  2. Tang, Z., Jiao, D., McIlroy-Young, R., Kleinberg, J., Sen, S., & Anderson, A. (2024). Maia-2: A Unified Model for Human-AI Alignment in Chess. arXiv preprint arXiv:2409.20553.
  3. CSSLab, University of Toronto. (2025). Maia-3 79M: Transformer model trained on human chess moves.
  4. Boardgammon. “Chess Moment: Play rated chess online.”
  5. Boardgammon. “Chess lessons and fundamentals.”
  6. Boardgammon. “Chess Moment: Play chess online.”

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