
ギリシャのピレウス港に面したカフェのテラスや、イスタンブールの路地裏にあるチャイハネ(喫茶店)、あるいはトビリシやエレバンの公園を歩けば、どこからともなく耳に心地よい乾いた音が響いてきます。木製のボードに跳ね返る2個のサイコロの音と、滑らかな木製の駒が素早く打ち鳴らされる音です。
日本の愛好家がその様子を見れば、「地中海の人々がバックギャモンを楽しんでいる」と思うかもしれません。しかし、盤面で繰り広げられている戦術を少し観察してみると、国際大会で見慣れた公式ルールとはまったく異なる手筋が次々と指されていることに気づきます。
これらのゲームはすべて、テーブルゲームの歴史的な大家族に属しています[1]。日本でも奈良時代に中国から伝来した「盤双六(ばんすごろく)」が貴族の間で大流行し、正倉院には聖武天皇の遺愛品として見事な木画紫檀双六局が今も大切に保管されています。西洋ではやがてダブリングキューブを備えた現代の競技バックギャモンへと発展しましたが、地中海や中東、旧ソ連圏の各地では、独自のルールを持つ兄弟ゲームが何百年にもわたって民衆の手で守り継がれてきました。トルコでは「タヴラ(tavla)」、ギリシャでは「タヴリ(tavli)」、ロシアや中央アジアでは「ナルディ(nardy)」、イランでは「タフテ・ナールド(takhteh-nard)」、そしてレバント地方一帯では「シェシュベシュ(shesh-besh)」と呼ばれています。
当サイトの世界のバックギャモン文化でも詳しく紹介しているように、同じ木製の盤面を使いながらも、各地域の人々は独自のルールとことわざをこのゲームに吹き込んできました。
道具立てはどれも基本的に同じです。24の細長い三角形(ポイント)が刻まれた折りたたみ式のボード、15個ずつの白黒の駒(計30個)、そして2個のサイコロを用います。しかし、相手の駒をヒットできるのか、上に乗って捕獲するのか、それとも単独の駒で道を完全に塞ぐのかによって、ゲームの戦略性はまるで異なる深みを見せます。
多彩なバックギャモンの仲間のゲームを理解するために、まずはなぜ東地中海の伝統ゲームにダブリングキューブが存在しないのかという根本的な問いから紐解いてみましょう。
なぜ伝統的なタヴラやナルディにはダブリングキューブがないのか?
現代のバックギャモントーナメントと各地の伝統ゲームを隔てる最大の象徴が、2、4、8、16、32、64の数字が刻まれたあの大きな立方体「ダブリングキューブ」です。
国際的な競技バックギャモンにおいて、ダブリングキューブは勝敗を左右する頭脳戦の核心です。サイコロの出目によるレースを、期待値と数学的なリスク管理の戦いへと変貌させます。しかし、当サイトの調査記事バックギャモンのダブリングキューブは誰が発明したのか?で解き明かしたとおり、このキューブは1926年ごろのニューヨーク・マンハッタンにある閉鎖的な社交クラブで初めて考案された極めて新しい道具にすぎません[2]。1920年代の会員制クラブの裕福なプレイヤーたちが、賭けのテンポを早め、一方的な展開になった際に潔く投了できるようにするために生み出したものだったのです。
一方、ギリシャのタヴリやトルコのタヴラ、コーカサスのナルディを楽しむ人々にとって、海の向こうで作られたこのキューブは無縁の存在であり続けました。
東地中海の伝統文化において、ゲームは最後まで粘り強く戦い抜く人間的な勝負とみなされています。勝率が20%前後に落ち込んだからといって途中で試合を投げ出すのは、誇りに欠ける振る舞いと考えられてきました。どんなに形勢が悪くとも、相手の油断や奇跡的なゾロ目の一投に望みを託し、最後の駒がベアオフされるまで全力を尽くすのが美徳とされたのです。
そのため、伝統ルールでの得点計算は極めて簡潔です。通常の勝利は1点、相手が1個も駒を上がれなかった場合(マーズ、またはギャモン)は2点となります。欧米のトーナメントで見られる3倍勝ち(バックギャモン勝ち)のルールも、これらの地域にはほとんど存在しません。
各地域の代表的なルールを比較する
それぞれのバリエーションがどのような特徴を持っているのか、まずは全体像を整理してみましょう。
| ゲーム名 | 主な地域 | キューブの有無 | 相手駒の扱い | 初期の駒配置 |
|---|---|---|---|---|
| 国際バックギャモン | 世界基準・競技大会 | あり(1926年〜) | 単独駒(ブロット)をバーへヒット | 4箇所に15個を分散配置 |
| トルコのタヴラ | トルコ・バルカン半島 | なし | 通常ヒット;3倍勝ちなし | 4箇所に15個を分散配置 |
| ギリシャのポルテス | ギリシャ・キプロス | なし | 通常ヒット;3種目マッチの1つ | 4箇所に15個を分散配置 |
| ギリシャのプラコト | ギリシャ | なし | 相手の駒の上に乗り、移動不能に封じる | ポイント24に15個全員が集合 |
| ギリシャのフェヴガ | ギリシャ | なし | ヒットなし;駒1個でポイントを完全封鎖 | ポイント24に15個全員;同方向へ周回 |
| ロシアのロング・ナルディ | ロシア・カフカス地方 | なし | ヒットなし;「ヘッド」から1個ずつ発進 | ポイント24に15個全員;同方向へ周回 |
| 中東のシェシュベシュ | レバント地方全域 | なし | 通常ヒット;伝統的な掛け声 | 4箇所に15個を分散配置 |
バックギャモンのルールでおなじみの初期配置では、各プレイヤーの15個の駒は4つのポイントに分かれて置かれます。具体的には、24ポイントに2個、13ポイントに5個、8ポイントに3個、6ポイントに5個です[1]。しかし、プラコトやフェヴガ、ロング・ナルディでは、すべての駒が1つのマスに高く積まれた状態から出発します。

ギリシャのタヴリ:3つの異なる種目を戦う総合競技
ギリシャやキプロスにおいて、「タヴリ」という言葉は特定の1つのルールだけを指すのではありません。カフェに集まった腕自慢たちは、通常3点、5点、あるいは7点先取のマッチを組み、3種類の異なるゲームを順番に戦います[1]。真のタヴリ名人になるためには、性質のまったく異なる3つの競技すべてに精通していなければなりません。
1. ポルテス(Portes:扉)
第1種目のポルテスは、国際バックギャモンに最も近いルールです。「ポルテス」とはギリシャ語で「扉(ゲート)」を意味し、ポイントをブロックで塞ぐことを指します。ブロットのヒットやベアオフの進め方は標準的ですが、ダブリングキューブは使わず、淡々と1点または2点を争います。
2. プラコト(Plakoto:押しつぶし)
第2種目のプラコトでは、駒をボードの外(バー)へ弾き飛ばす「ヒット」という概念が完全に消え去ります[3]。相手の駒が1個だけで置かれているマスに自分の駒が到達した場合、相手を追い出すのではなく、**その駒の真上に自分の駒を乗せてピン留め(捕獲)**します。
乗っかられた相手の駒は、以下の状態に置かれます:
- 上に乗っている自分の駒が立ち去るまで、下になった駒は完全に移動不能となります。
- そのマスは捕獲したプレイヤーのものとなり、その上にさらに2個目、3個目の自駒を重ねて強固な陣地を作ることができます。
- 捕獲された駒は、上の駒がどかない限り救出されません。
プラコトで最も恐れられているのが、「マナ(Mana:母駒)」の捕獲です。マナとは、最初の24ポイントの山の一番底にある最後の1個の駒のことです。もし相手がボードを一周して自陣に入り込み、マナを動かす前にその上に駒を乗せてしまった場合、その瞬間にマーズ(2点)での即座の敗北が決まります。
3. フェヴガ(Fevga:逃亡)
第3種目のフェヴガは、スピードと通路封鎖の極致です[3]。両プレイヤーは対角線上の反対角からスタートし、**同じ方向(反時計回り)**に向かって盤上を駆け抜けます。
フェヴガの最も劇的なルールは、「駒が1個あるだけで、そのマスを完全に支配できる」という点です。相手の駒が1個でも置かれているマスには、着地することも通過の中継点として使うこともできません。
そのため、プレイヤーたちは自駒で通路を塞ぐブロック(プライム)を次々と築き上げます。ただし、当サイトの特集記事バックギャモンのプライミング戦略でも解説したとおり、相手の駒が1個も前方に脱出していない状態で6連続の完全な壁を作ることは反則として禁じられています[3]。

トルコのタヴラと「シェシュベシュ」の語源の謎
トルコにおいて、男性たちが熱中するタヴラ(エルケック・タヴラス:erkek tavlası)は、驚異的なプレイスピードで知られています[3]。熟練者同士の対局では、サイコロが転がって止まるか止まらないかの刹那に、片手で駒が鮮やかに滑らされます。
トルコのタヴラ文化でひときわ魅力的なのが、サイコロの出目を詠唱する伝統的な呼び名です。現代のトルコ語の数字ではなく、オスマン帝国時代から受け継がれたペルシャ語とトルコ語の混合言葉で数字を歌い上げます:
- 1-1:ヘップ・イェック(hep yek)
- 2-1:ドゥ・イェック(dü yek)
- 3-1:セ・イェック(se yek)
- 4-1:チェハール・イ・イェック(cehar-ı yek)
- 5-2:セバー・イ・ドゥ(seba-i dü)
- 6-6:ドゥ・シェシュ(dü şeş)
- 6-5:シェシュベシュ(şeş-beş)
ペルシャ語で「シェシュ(shesh)」は数字の6を意味します。一方、トルコ語で「ベシュ(beş)」は数字の5を意味します。つまり、「シェシュベシュ」とは「6と5」という出目そのものを表す言葉なのです。
バックギャモンにおいて「6-5」は、序盤に相手の包囲網を一気に飛び越えて長距離を前進できる極めて優秀な出目です。この幸運な出目への親しみから、やがてシリア、レバノン、エジプト、イスラエルなど中東各地でゲームそのものが「シェシュベシュ」と呼ばれるようになりました[1]。交易を通じて諸民族が深く交流した歴史の生きた証拠といえます。
ロシアのロング・ナルディ:我慢と空間支配の幾何学
ロシアやジョージア、アルメニアなどのカフカス地域で絶大な人気を誇るのが、「ロング・ナルディ(dlinnye nardy)」です[3]。
ロング・ナルディには、ヒットによる駒の捕獲は一切存在しません。両者が同じ方向に向かって24ポイントのトラックを周回します。このゲームを支配するのが、以下の厳格な基本原則です:
- ヘッド(Head): 15個すべての駒が、スタート地点である24ポイントに積み重なっています。
- ヘッドからは1ターンに1個のみ: サイコロをいくら振っても、最初のマス(ヘッド)から盤上へ繰り出せる駒は「1ターンにつき原則1個」に制限されています。例外は初手のサイコロで6-6、4-4、3-3の特定のゾロ目を振ったときだけであり、このときのみ2個の駒を発進させることが許されます[3]。
- 1個でマスを独占: フェヴガと同様に、自分の駒が1個でもあればそのマスは自分の領地となり、相手は入れません。
ロング・ナルディの極意は、先頭の駒を不用意に走らせすぎないことにあります。中継地点となる中間ポイントを確保しないまま前進すると、相手に中央の拠点を制圧され、自分のヘッドに残された駒がまったく発進できなくなって手詰まりに陥ってしまいます。
古代の宇宙論とゼノン帝の悲劇:悠久の歴史の証言
これらの伝統ゲームが現代のプレイヤーを惹きつけてやまないのは、古代の哲学と天文学に根ざした深い象徴性を受け継いでいるからです。
6世紀のサーサーン朝ペルシャで書かれたパフラヴィー語の文献『ウィザーリシュン・イー・チャトラン(Wizārishn ī Chatrang:チェスの解説とナールドの発明)』には、賢臣ボゾルグメフル(Bozorgmehr)がインドのチェスに対抗してバックギャモンの原型を考案した際の世界観が記されています[3]:
- 24のポイントは、昼と夜を合わせた1日の「24時間」を表す。
- 片側12のポイントは、1年の「12か月」と「黄道十二星座」を表す。
- 30個の駒は、太陰暦の1か月の「30日」(白の15個は昼、黒の15個は夜)を表す。
- 2個のサイコロは、天体の運行と人智を超えた運命の巡り合わせを表す。
一方、東ローマ(ビザンツ)帝国では、このゲームは「タブラ(Tabula)」と呼ばれて愛好されていました。宮廷詩人アガティアスは、西暦480年にビザンツ皇帝ゼノンが対局した劇的な一幕を詩に残しています[4]。
白の駒を持っていたゼノン帝は堅固な陣形を築いていましたが、3個のサイコロで「2、5、6」という極めて不都合な出目を振ってしまいました。タブラの厳格な規則では、出た目の移動を放棄することは許されません。皇帝はやむなく強固に連結していたブロックを解体し、7個もの単独の駒(ブロット)を敵前に晒すことになり、あっけなく大逆転負けを喫したと伝えられています。
バックギャモンの歴史を振り返れば、サイコロの強制力に苦悩し、逆転劇に一喜一憂する人間のドラマが、古代のコンスタンティノープルでも現代のカフェでもまったく変わっていないことに深い感動を覚えます。
伝統ゲームに挑戦するための実践的なヒント
普段の国際ルールから離れて、タヴラやタヴリ、ナルディの世界を体験してみたいプレイヤーは、以下の心得を意識するとよいでしょう:
- キューブの存在を忘れる: 投了ボタンを探してはいけません。不利な局面でも驚異的な粘りを見せ、最後のサイコロの一投まで勝負を諦めない姿勢が求められます。
- プラコトでは母駒を急いで脱出させる: 24ポイントの底にあるマナを捕獲されると、その場でマーズ負け(2点)となります。安全なマスが空き次第、最優先で発進させましょう。
- ブロックゲームでは中央のポイントを制圧する: フェヴガやロング・ナルディでは駒1個でマスを塞げるため、第2クォーターの要所をいち早く押さえることが相手の進路を塞ぐ鍵になります。
- 出目の伝統的な呼び名を口にしてみる: 「シェシュベシュ」や「ドゥ・イェック」といった伝統の掛け声を覚えることで、歴史のロマンを肌で感じながら対局を楽しめます。
次回、無料のオンラインバックギャモンの盤面に向き合うときは、目の前にある画面の向こうに、ペルシャの賢者や古代の皇帝たち、そして地中海のカフェでサイコロを振り続ける無数の人々が築き上げてきた壮大な文化の広がりを感じてみてください。
出典
- Encyclopædia Britannica. “Backgammon: Board Game.”
- Jacoby, O., & Crawford, J. R. (1970). The Backgammon Book. Viking Press, New York.
- Murray, H. J. R. (1952). A History of Board-Games Other than Chess. Oxford: Clarendon Press.
- Agathias. (c. 530–582 CE). Anthologia Graeca, Book IX, Epigram 482 (Recording Emperor Zeno's Game of Tabula, 480 CE).
- Boardgammon. “Backgammon Variants: Games in the Tables Family.”
- Boardgammon. “Tavla: Turkish Backgammon Rules and Culture.”
- Boardgammon. “Plakoto: The Greek Pinning Variant.”
- Boardgammon. “Fevga: Greek Running and Blocking Game.”
- Boardgammon. “Long Nardy: Russian Dlinnye Nardy Rules.”
- Boardgammon. “The History of Backgammon: From Nard to the Modern Board.”
- Boardgammon. “Play Backgammon Online Free.”
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